って、聞かれることが、なんか最近増えていまして。見える見えない、って、その人の思考を反映したものなので、その人次第ですし、その人の思考がどのようなものなのか?に規定されていそうです。
ある人には見えて他の人には見えないことも、共通のものが見えることも、同じ筈やのに別々のものが見えることも、何でも、あり得ることから類推するに、
この世界は、宇宙は、ひとつじゃない
ってことですよね。その人の、信念体系や思考体系、そして、それらを共有する人々の間での、合意的現実が存在するだけで。
社会的な統一見解は存在しえないし、そうなるようにと布教活動したり、それを一般大衆に広めようと活動するのは、余計なお節介で。そういうのは、いつか必ず挫折すると、捉えるべきなのでしょう。
合意しなければ、フラットアースはあり得ないし、エリザベス女王は爬虫類人類にはみえないし、、三浦春馬が高知にいるのを目撃することも、安倍元首相がサウジアラビアで生きているのを見ることも、たぶんありません笑
お互いに、どういう宇宙に所属し、どのような現実に合意し、何を共通の認識とするのか?ってことなのでしょう。
こういう怪しい話、わたしは世の中に対して、迷惑を掛けない範囲のものなら何でもアリだとおもうし、大好きなのですが。
施術中に、戸がガタガタ揺れたりするのはいつものことですし、黒曜石の鏡に、煙の神さんであるテスカトリポカが出入りするのもいつものことですし。
朝出勤すると、だあれも居ない筈なのに、既に誰かとナニカが椅子に座って雑談していたり。何者か同士で対談していたり。
夜退室しようとすると、ここぞとばかりに見えない世界の住人たちが、椅子に座って会合をはじめようとしていたり。
部屋中に青い稲荷狐さんたちが充満して、その稲荷狐ネットワークへのログインIDとパスワードを貰うのも、いつものことですし。
座敷童さんたちが子供を産んで育てているのを観るのも、まぁ、よくありますし。
座敷童さんが居座ると、お店が繁盛する、っていうのは、たぶん実際にそうなんだなーと実感していて。ありがたい、です。
あの、矢追純一さんの絵は、その出入り口になっているかもしれないですね。
最近は、超ベテランのエネ使いさんたちがよく来院してくださって。
ここ、気持ちいい、と仰っていただけるので、たぶん、人類にとって、味方をしてくれるありがた〜い存在が、協力してくださっているのでしょう。
って、で、見えるようにするにはどうすればいいか?って、、、たぶん、こんな話を面白がって見聞きすることなのかもしれないですけれど。
ただ、今の社会では、
見えたとして、それで?
って、なるだけなので。エンタメとしては、まぁ楽しいですけれど、それ以上でもそれ以下でも無いんかなーと、おもいます。